メゾン・ケンポクの何かはある2021 レビュー 松本美枝子《小さなミエコたちのはなし》
日常のひきつれに臨む
村上綾(国際芸術センター青森 学芸員)

2021/10/15 みる

上映時間がきたら展示室内に通され、中央の椅子に座る。暗幕で覆われた壁に囲まれて、スクリーンを前にしていると、浮かび上がるようにしてモノクロームの海が登場する。目線よりも少し高い水面は、遠くの白波はずっと絶えないまま、変わらない。少しして右手から女性の声が聞こえ、語り手が経験した日立での空襲の話であることがわかる。平坦な語り口である。
生後間もなくの父の出征を覚えていないこと、小学校の入学式に着たワンピースのボタンの位置まで覚えていること。教わって知った事実と、こと細かく喜びのある出来事についての話が混じっている。草とガソリン芋の入った美味しくないご飯の話や、道で拾った蜜柑を4人兄弟で分けて味わった話が続く。食器洗いの音が混じる。空襲が始まる様子は、実際に目の前にした臨場感のある言葉で、少しこわばった声で表わされる。一方で、「音がしたら、防空壕に入るという決まりです。」と淡々とした声は、とにかく命を守るために教わっている・習慣づいている行為を思わせた。だんだんと飛行機が飛ぶ音が近づいてくるようにして大きくなっていく、これ以上は会場を抜け出してしまいたくなる気持ちになる寸前で、音は途切れた。
少しの空白の後、語りは続く。防空壕で生き埋めになった次の日、病院で朝を迎え、母の無事もわからず、呆然とする。その後に迎えきた叔父と、その日の晩の日立の空襲を眺めた。爆弾が落ちていることを理解しながらも、高台から眺めて「そう、すごくきれいだった」と語る声には、そのときの高揚感が見え隠れする。「見ました」と繰り返す抑揚の少ない声は、悔しいような、もどかしいような様子も感じさせ、「それでみんな焼かれたんです。」と結ぶ声からは怒りも読み取れる。空襲の終わった翌日の朝、叔父と兄弟とでリヤカーを押しながら、30㎞先の高萩まで歩いて逃げた。そこからの叔父や祖母との暮らしのなかで弟が亡くなるが「泣いたことはありません」と続ける。帰ってきた父と日立の街に戻り、次の春を迎え、彼女はもう一度一年生から始めることになった。

彼女の話では、病院で朝を迎え「ああ、お母さんはきっと死んだのかな」と虚ろに話していたり、4人兄弟の幼い妹の死についてのエピソードが抜けていたり、平和な日常では、大きく心に残るはずの非常が、淡々とした声で語られている。それはまさに、度重なる理不尽な事態を前に彼女の呆然とした様子を想像させる。また、彼女が焼けた街で傷ついた人々に見向きすることなく、高萩までの道を引き離されないように大人について歩いたこととも重なる。大切な人の死を悲しむ余裕もなく、生きることを選び取っていくほかないという事実である。そして、母について知る手がかりのないことなど折に触れて思い出している。放心状態になりながらも母を気にし続けている様子は、必死の日々のなかにも浮き上がってくる悲しみを伝えている。
この作品は、松本美枝子が日立の空襲についてリサーチを重ねるなかで出会った、くしくも同じ名前のミエコさんの話をもとに制作されている。初めて出会ったミエコさんの話は、家族も聞かされていなかった体験にもおよび、後日行ったインタビューの際の話の内容を本作にほとんどそのまま使用している。
さらに松本は今回、語り手の姿は被写体として見せず、日立の海の映像と、ミエコさんの経験、語りの声、サウンド、砲弾破片、を会場に配置した。戦争の体験談、戦争遺物をありのままに提示するという点では、資料展示とあまりに共通点が多い。しかし、その明白な違いは忠実さのなかにあるフィクションであろう。恐ろしい場面と幸せな場面とを淡々と語る声には、声は体験の主と同じでないものの、日常のひきつれを目の当たりにしていくミエコさんの放心が表わされている。登場する食器洗いの音や飛行機の飛ぶ音は、実際の音ではなく人工的に制作されたサウンドを用いている。また、語りには松本が加えた部分もある。「爆弾の、破片が、そこに、あるでしょう。」と「だけど爆弾の破片は、今も街の底に眠っています。」の2つの文である。前者は防空壕での話の後に差し込まれ、砲弾破片に目を向けさせるスポットライトの役割を果たしている。観客は目を向け、身をもって砲弾破片の大きさを感じながら、防空壕でのミエコさんの体験を耳にする。後者は、最後に添えられた鑑賞者が日立の街と重ねて思い起こすための仕掛けであろう。
つまり、砲弾破片やミエコさんの経験は、松本が目の当たりにしてきた日立の空襲の痕跡であり、語りの声やサウンド、そして日立の海は、それら痕跡と現代の鑑賞者とつなぐメディウムであった。
日常の景色に差し込まれたものが、かけ離れているほど、落差のためか人の記憶に深く刻み込まれる。そしてその出来事が身近で起こったときほど、その矛盾のまま受け入れざるを得ず、連続する理不尽な出来事に、起こるはずの感情の起伏は矮小化され、いびつさを増すのではないだろうか。生きるために矮小化せざるを得ないというべきかもしれない。このミエコさんのなかで起こっていく、いびつさを増していく日常が、諦観もにじむ声とともに、体に染み込んでいく感覚がした。言い換えれば、メディウムを通して他者の経験が鑑賞者に流し込まれたということだろう。

展示会場から出て、日立の海を見に行った。とてもよく晴れた日曜日だった。家族連れが歩いていたり、サーフィンを楽しむ人もいたり、前日の雨のために緑がかった海は、水平線が高く見え、本作の映像の日立の海と同じような表情をしていた。ミエコさんが日常のいびつさを受けとめざるを得なかった日々も波は同じように揺れていただろう。艦砲射撃は海から地上へ向けられるものである。海の穏やかさを前にしても、「海は危ない」が耳から離れない。ミエコさんの歪な日常を想った。
現在の日立の街もまた戦争の痕跡と現代をつなぐメディウムであることを、《小さなミエコたちのはなし》は否応なしに気付かせる。そしてそのメディウムから引き起こされるのは、理解や教訓というよりもむしろ、理不尽にも降りかかる日常のひきつれへの想像力なのである。

メゾン・ケンポクの何かはある2021 ー記憶を頼りに進む
会期:2021年1/22(金)〜3/14(日)
(新型コロナウイルス感染拡大防止対策のため、一部プログラム延期により会期変更)
場所:メゾン・ケンポクと茨城県北各地ほか

主催:茨城県北地域おこし協力隊
協力・後援:茨城県、WALL原宿

企画:松本美枝子
企画補佐:日坂奈央、メゾン・ケンポクのチーム

「小さなミエコたちのはなし」 松本美枝子(写真家、美術家)
日時:1/22(金)〜3/14(日)10:00〜17:00 *月休み
場所:日立市視聴覚センター映像セミナー室(日立市幸町1-21-1 日立シビックセンター地下1階)
+ウェブ(www.storyofmieko.info)
松本は2015年から継続して、日立市をリサーチしながら作品を作ってきました。今年度は町に住む人々にインタビューしながら、75年前の社会について考察。人々の記憶からインスピレーションを受けた作品を、現実の展示空間とウェブとの双方向で展開します。最新情報は、本作の特設サイトをご覧ください。www.storyofmieko.info

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