メゾン・ケンポクの何かはある2020 レビュー 松本美枝子《海を拾う》
石が問う、産業と地域、そして芸術
小松理虔(ローカル・アクティビスト)

2020/12/9 みる

どんな地域にも、魅力と課題はつきものだ。外から見ればきらびやかな観光地に見える地域にも、文化的な優位性など何もないように見える地域にも、本来は、魅力と課題の両方が折り重なるように存在している。けれどもその両者は、いつも「分けて」語られてしまいがちだ。地域のPRをやろうと思えばネガティブな伝え方は許されず、かといって課題ばかりをあげつらっていても辛い。「魅力を県外にプロモーションだ!」といっても、そこに暮らす地元の人たちは置き去りにされて、短期的な「集金」には役立っても、地域全体を底上げするようなレベルにまでは至らない。

ぼくの暮らす福島も似たようなものかもしれない。毎年3月になると「ここまで復興したのだ」と伝えたい人と、「否、復興は遠い!」という人との意見がぶつかる。代理店によって過剰にドーピングされた地元の魅力は頻繁に東京に伝えられるけれども、地元の人は冷めていたりする。復興と一口に言っても置かれている状況は複雑だ。それなのに、語られる被災地はどこか両極端だ。SNSの時代である。自分がどっちの陣営に属しているかを表明するための「踏み絵」を踏まされるようなことも増えてきた気がする。

行政の予算を使って「地域づくり」が広く行われている昨今。地域の魅力と課題、ポジティブとネガティブを同時に成立させること、つまり地域を「批評」することが難しくなっているように感じる。特に福島県浜通りのように巨大な企業−−それは東京電力だったり常磐興産だったりする−−が地域の産業や観光を担っている場合はより難しくなる。大企業に徹底して乗っかるのか、敢えて徹底して批判するのか、こちらの道も両極端になりがちだ。ぼくは、そのどちらかだけに与せず、両方含んで越境していくことはできないだろうかということを、ここ数年うじうじと考えてきた。

そのうじうじを解きほぐすヒントを、先日、茨城県の日立市で見つけた。メゾン・ケンポク『何かはある』の企画、写真家の松本美枝子による《海を拾う》という作品である。手紙を頼りに複数の展示会場を移動しながら、写真と物語、現実の風景を鑑賞していくというサイトスペシフィックな作品である。

結論から言うと、ぼくはこの作品を通じて「日立」という地域の見え方がガラリと変わってしまった。日立の文化や歴史が羨ましいほど豊かに見えた。その一方で、ほとんどそれを生かしきれていない現状への歯がゆさを感じることにもなった。なぜ地元の人間でもないぼくが日立に歯がゆさを感じるかというと、ぼくの暮らすいわき市から日立市までのエリアは、かつて常磐炭田で栄えた地域だ。日立の魅力や課題は、この「常磐地域」共通の魅力や課題でもあるからだ。松本の作品には、この常磐という地域と産業、芸術、歴史の伝承や地域の批評について考える、数多くのヒントがあった。本項では、それを紹介していく。指定された3000字を大きく超えて5000字ほどの論考になってしまった。筆者が常磐と芸術を愛するがゆえの文字数だと思って、読み進めていただきたい。

ー石がつなぐ現実と虚構

松本の作品は、まずJR日立駅から始まる。海を見下ろす美しいガラス張りの駅舎の一角にケースが置かれており、その中に、無造作に「石」が置かれているというものだ。そばには手紙も置かれてあり、その石が付近の河口から採取されたものであること、日立市には古代の地層が残り、そこから多くの石が取れることなどが紹介されている。日立市は常磐炭田の南端に位置する「日立銅山」から発展した町だ。駅からは、その日立銅山にルーツを持ち、日本を代表する企業となった “ニッセイ”こと日立製作所の工場も見えた。

手紙に書かれている内容に従って、メインの展示会場になっている駅近くのカフェに向かう。歴史を感じさせる建物だ。かつては料亭だったという。中に入ると、いい具合に年季の入ったインテリアや調度品、美しい内装の空間が広がっていた。入り口で注文を済ませ、静かに階段を上がっていくと、2階の部屋の一角に、石を撮影した写真と、複数の物語が書かれた手紙が置かれていた。写真と手紙、二つを往復するように作品を鑑賞しつつ、注文したコーヒーが届くのを待つ。

手紙には、魔女になりたかった女性(本稿では魔女としておこう)と石にまつわる短い物語が綴られていた。物語の中には、作者である松本らしき「写真家」と、魔女の父親の「芸術家」も登場する。物語を読み進めていると、ふと、部屋の棚にも石が置かれていること、意味ありげなインスタレーションが部屋の隅に置いてあることなどに気づいた。おまけに、コーヒーを持ってきてくれた女性スタッフが、いかにも物語に登場する魔女のように見えてしまう。ぼくは思わず、物語と作品の中に迷い込んでしまった気持ちになる。

作品のポイントとなるのが石の扱い方だ。石は、日本最古の地層であるカンブリア紀の地層を持つこと、そしてその古い地層から鉱石が採掘され、その鉱業・工業によって発展してきたという日立市の歴史、産業の象徴だ。石は、まさに日立そのものだといえるだろう。と同時に、石は石単体の地質学的・地学的な事実や特徴を提示する。日本最古の地層であるカンブリア紀の地層は、なんと5億年も前のもので、かつて存在した「ゴンドワナ大陸」の東端に位置するという。歴史的な事実、化学的な知見など、膨大な情報が石に詰め込まれているわけだ。

また、石は、現実と虚構を結ぶ接点としての役割も果たす。展示会場には、松本本人が石を採取したポイントを提示した「地図」が展示されている。この石は、紛れもなく現実に採取されたものだ。しかし、それと同じ石が物語にも登場する。魔女は「ただ毎日見ている海で拾ってきただけ」という。現物の石が物語に登場することで、石は虚構の産物となる。鑑賞者は、石を通じて現実とフィクションのあわいに嵌りこんでしまうのだ。

さらに石には、複数の時間軸が凝縮されている。石は、太古の地層から生まれただけでなく、川を転がって海へとやってくる。岩が砕かれ石となり、その石が川底を転がって魔女のもとにたどり着く、その膨大な時間と出会いの偶然性。またあるいは、鉱山の町から発展し衰退していく「町の時間」や、物語に登場する人物の「生死の時間」といった複数の時間軸を、石はその身のうちに詰め込んでいる。

そしてまたこの石は、目の前に広がる日立の「海」から「山」へ、「マチ」から「ヤマ」へと鑑賞者の視点を転換するスイッチにもなっている。魔女が「海で拾った」と語る石。その石は、日立のヤマから採取されたものだ。鑑賞者は、カフェの目の前に広がる海の風景を見つつ、石を通じて、日立の「山/ヤマ」を考えずにいられなくなる。

このように、現実と虚構とを行き来する「石」が、様々な物語や時間軸、視点をつなぎ合わせ、鑑賞者を翻弄するのだ。石はフィクションであり、現物であり、また事実であり歴史である。この融合と往復こそ、本作品の最大の魅力だとぼくは感じた。

ー魔女と父の物語

ものすごく作り込まれた作品だなあ、すげえなあと驚嘆していると、なんと、さっき飲み干したばかりのコーヒーの受け皿に、小さな小石が乗せられていたことに気づいた。なんという演出だろう。やはりさっきコーヒーを持ってきてくれた女性が「魔女」に違いない。魔女は本当に存在していたのだ。あの「物語」は史実なのかもしれない。

カップに置かれた石を見つけた瞬間、複雑に絡み合った現実と虚構の糸が、するすると解かれるような思いがした。先ほど読んだ手紙の中に、魔女の父親である「芸術家」が登場する。その美術家は、ベネチア・ビエンナーレにも出展した経験があると書かれていた。はっとしたぼくはすぐにケータイを取り出し、googleで検索をかけた。すると、ある一人の芸術家の名前が、その検索の最上位に示された。

田中信太郎。1960年に赤瀬川原平らと前衛芸術家集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成した芸術家だ。抽象的な作品を主に手掛け、ベネチア・ビエンナーレなど多くの国際美術展に出品している。実は田中は、長くこの日立市の山中にアトリエを構え、多くの作品を残した。検索を続けると、あるサイトに、田中本人のこんな言葉が残されていた。

「自宅の目の前には日立市の海が広がっています。家から太平洋を見ると、地球は丸いと実感し、稲妻が海に向かって垂直に走ります。ここにいると、森羅万象の全てが芸術の源と感じます。」(http://kenpoku-art.blog.jp/archives/7100567.html)

この石は、ヤマにアトリエを作った父とマチに暮らす娘との家族の物語の象徴であり、日立市に生きたひとりの芸術家の命の象徴でもあったのだ。

とすれば、先ほどコーヒーを届けてくれた魔女は、信太郎の娘さんだったのかもしれない。下に降りて挨拶をしようと思ったが、どうやら魔女は私用で外出してしまったらしい。また時を改めて、このカフェに来る必要がありそうだ。

大きな感動を覚え、別れを告げようとすると、松本から「ぜひこの紙に書かれた場所に行って欲しい」と最後の手紙を手渡された。そこには、「かみね公園へと向かって欲しい」ということが記されていた。ここまできて、そこに行かないわけにはいかない。幸運にも、同じタイミングで作品を見ていた男性が車を出してくれることになった。ぼくたちはカフェを出、一路、かみね公園へと向かった。

車で10分ほどだろうか。小高い丘の上の展望台に着いた。そこから、美しい日立の町が見えた。町の奥には美しい太平洋が広がっている。この日の天気は雨。本当は青い海の似合う地域だが、水平線と空の境界が鈍く交わる様はとても幻想的で、この物語のフィナーレには案外お似合いかもしれないと思った。視線を反対側へやると、5億年の歴史を有する日立の山並みが広がっている。谷には大きな工場があり、白い煙を黙々と吐き出していた。この町が、確かに「山/ヤマの恵み」で成り立ってきたことを感じさせた。

ちょうど展望台の下には、カンブリアの地層が路頭していた。文字通り「むき出し」になっていることに驚かされた。別に柵を作っているわけでもない。当たり前に触れる場所にそれはあった。ここから生まれた岩が川を流れ、転がるうちに石となり、海に注ぐ河口のあたりで、魔女がその石を拾い上げる光景が目に浮かんだ。その石はいま、ぼくのズボンのポケットにある。ここからその光景を想像できてようやく物語が完結したのだと、ぼくには感じられた。

ー問いを拾う芸術家の役割

松本の作品は、日立市が持つ文化資源を鮮やかに照らし出していた。お隣の福島県に暮らしているぼくも、恥ずかしながら日立に「日本最古の地層」があることを知らなかった。日本最古の地層は、地域の子どもたちが学ぶべき最良の教科書だと思った。日立市から次代の地質学者が出てもおかしくないだろう。

また、この日立が日本の近代化、工業化を支えたという意味では、近代史を学ぶ最良の教科書だとも言える。日立から福島県双葉郡までは、広大な「常磐炭田」が広がる。各地にはまだ遺構も残されている(ぼくの住むいわきにもたくさんある)。常磐炭田の歴史と産業の歴史を学ぶにはもってこいの場所だ。ユネスコが認定する「世界ジオパーク」に認定されてもおかしくない場所だと思えた。

ところが、このエリアは、「世界ジオパーク」にも、それに準ずる「日本ジオパーク」にも認定されていないのだった。日立市を中心に「茨城県北ジオパーク構想」というものがあるが、ウェブサイトを見る限り、地域全体で盛り上げようという一体感を感じることはできなかった。日本最古の地層を持ち、炭鉱の遺構など多くの学習・観光拠点があるのにだ。あまりにも勿体無い話だと思えた。

それだけではない。日立から北に30分も車を走らせれば、日本の近代美術を作り上げた、かの岡倉天心ゆかりの地、五浦もあり、そこには大きな美術館もある。田中信太郎という希代の芸術家の存在、日本の美術に歴史を残した「ダダイズム」の文脈まで含めば、この地が日本の近代と芸術を語る上で、極めて重要な地であると思わずにいられない。芸術家たちの交流が、もっと盛んに行われてもいいはずだ。

そういうことを勘案して、この地で「茨城県北芸術祭」が行われたのではなかったか。県知事が変わり芸術祭は打ち切りになってしまったけれども、この地は日本有数の「文化芸術の町」にはなれるポテンシャルがある。日立製作所だのみだった地域の産業も、ここ数十年で人口も減り、かつての賑わいは遠いものになってしまった。地域の物質的豊かさとそれゆえの思想的貧困の両方を、今回の展示は突きつけていた気がする。

おそらく、福島県と同じように、巨大な企業の「お膝元」であることが、自由な気風を阻んでいるのだろう。日立製作所や常磐興産や東京電力が、自分たちがやってきたことを批判的に捉えて表現し、それを発表することをわざわざ推奨する理由はない。一方、芸術家がこうした「お膝元」で表現を行おうとすれば、地域と産業の歴史に足を踏み入れざるを得ない。そこまで露骨な「検閲」はないだろうが、巨大な企業の存在が、それに批評的に向き合う表現の「自粛」や「忖度」を作り出す。

地域の宿命的な「こじれ」を、余所者の松本は飛び越えようとしている。余所者のまま地域の人たちと出会い、「魔女」や「芸術家」の存在を探し出し、光を当て、地域の歴史や文化と、批評的な視線を保ちながら、なおかつ魅力的に浮かび上がらせている。地域とアートの理想的な関係を、松本の作品は紡ぎ出していた。

どうかこの「メゾン・ケンポク」を機に、この日立を入り口に、土地と産業、そして近現代と芸術をめぐる議論が盛んになることを願う。日立から北へと伸びる常磐炭田の北の端には、福島第一原子力発電所がある。地域、産業、エネルギーと災害、文化芸術を考えるのに、これほど適した場所があるだろうか。日立はその切っ先に立っている。5億年の大地と、その大地が作り出す石が、その証だ。

いわきへと戻る常磐道。ぼくの視線の右側に太平洋が見えた。「海を拾う」で、ぼくが拾ったのは、なんだったのだろうと考えながら、ふと、ポケットにしまった石を思い出し、ズボンのポケットから石を取り出し、ぎゅっと握り直した。この石は、松本美枝子という芸術家からぼくに手渡された宿題のような気がした。ここからぼくたちはいったい何を始められるのか。大きな問いを、ぼくは拾い上げたのかもしれない。

「メゾン・ケンポクの何かはある」
会期:2020年1/17(金)〜3/8(日)
場所:メゾン・ケンポクと茨城県北各地

主催:茨城県北地域おこし協力隊
協力・後援:茨城県

企画:松本美枝子
企画補佐:日坂奈央 サポート:メゾン・ケンポクのチーム
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みる1:松本美枝子「海を拾う」
会期:1/30(木)〜3/1(日)
場所:①JR日立駅展望イベントホール(日立市幸町1-1-1)
   ②cafe miharu(日立市旭町旭町2-8-14)13:00〜18:00

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