メゾン・ケンポクの何かはある2020 派生作品 松本美枝子×鈴木洋平《短編映像|海を拾う》 松本美枝子(写真家)、鈴木洋平(映画監督)

2021/01/22 派生作品

松本美枝子×鈴木洋平《短編映像|海を拾う》(10分)

本作、松本美枝子×鈴木洋平《短編映像|海を拾う》は、作品《海を拾う》のアーカイブを作る上で、発生したものだ。当初、《海を拾う》の純然たるアーカイブ映像を残そうと、映画監督の鈴木洋平さんに映像制作を依頼したのだが、鈴木さんと制作を進めていくうちに、どうにもこうにも、この作品を通常どおりに記録するのが難しい、ということがわかった。この作品は、テクスト、映像、音、オブジェクトによるミクストメディアということだけではなく、ある人物による虚構と現実がいりまじった演劇的要素、さらには会場となる老舗料亭で暮している人たちの日常と、そこを訪れる鑑賞者が出会うことで生まれる偶発的なことがらが混成されて、初めて成り立つものであり、展示期間中、同じ瞬間は1秒たりとも訪れないからだ。自分でも当初の思惑を超えた作品を作ってしまったことで、記録が成り立たないことに、やっと気づいたのだった。その上、鈴木さんも自分の撮りたいように撮ってみてよいか? という。結果、記録とは全く違う、鈴木さんのフィルターを通した、新しい別の小作品が出来上がったのだった。そしてこの映像の方法論は、このあと夏に鈴木さんと制作した短編映画「骨格」へと繋がっていくことになる。(松本美枝子)

2020年の2月に松本美枝子さんによる展示「海を拾う」記録映像を撮影する前後にぼんやり考えていた「力とフォルム」に関する推論。アクションを生み出すために必要なのはフォルム。まずフォルムがあり、その中心には力がある。このフォルムは中心にある力によってのみ湾曲する可能性を秘めている。湾曲したフォルムがアクションを生み出す。湾曲とは歪み、ズレ、つまり、力の影響だ。酷く抽象的だが、この単純な定式によって映画内のアクションがどのように生み出されるか整理しておきたかった。まず中心にある力を探求した。それは展示会に訪れる観客だとすぐに分かった。その観客は展示会という空間=フォルムの中に入る。フォルムは観客の動きを規程し、誘導していく。その観客の動きでフォルムは湾曲していく。それが観客のアクションとなり、アクションがストーリーを生む。必要な素材のみを撮影し、編集はほぼ1日で終わった。結果、フォルムとアクションは一対になっていて、この2つが相互に作用しないと両方の力は失われてしまうように思えた。では、なぜアクションを生み出さなくてはならないと考えるのか。それは映画においては、ストーリー性より上位に、アクションが存在するべきだと考えているからだ。映画は単純な動きの連続であり、その動きこそが、ストーリーを生み出す機動力となる。その映画的なストーリーは見ている時にだけ実感できるものが理想で、記述不可能なモノであるべきだと考えている。3月には映画の撮影の話し合いが行われた。記録映像「海を拾う」があり、短編映画「骨格」の制作へと繋がったのは、この推論をどうにかメソッド化してみたいと考えていたからだ。コロナの影響でスケジュールがズレ込み、2020年7月に撮影が行われた。撮影は松本さんが担当した。写真家による映画の撮影は「静止画から動画へ」という単純な飛躍ではない。
「骨格」における共同作業では、まず写真家である松本さんがフォルムを発見する。そして、僕はそのフォルムの中に存在している力を見抜く。その力は1つだけだ。その力が機動力となり、アクションが生まれる。湾曲とは、つまり、ストーリーが生まれる可能性として捉えられるが、この部分はまだ推論の域を出ない。故に、このメソッドは未完成だ。この先の野心としては、人が何かの意志を持ってモノを動かすのではなく、モノが人に働きかけているかのようなアクションを作り出すことだ。最後に、僕は「骨格」の制作チームに「骨組」という名前をつけた。まさに我々はフォルムであり、中心にある力を探る。そして、次なる作品で、さらに実践を重ねていくことになるだろう。(鈴木洋平)

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